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歌う猿と言葉のお仕事


 ここ最近の感じた「歌」と「言葉」に関するワリと真面目な話。



 まずは歌の希望の話を。

最近の私のお気に入りは千葉大学の岡ノ谷助教授という方。
岡ノ谷氏は“人類の言葉の起源”について非常に素敵な説を唱えている。
それは、「言葉は歌から生まれた」という学説だ。

氏はジュウシマツの歌声の中に一定パターンの文法がある事を発見された。
またルーツとして人類に近いとされるテナガザルの鳴き声にも同様の結果が見られたとかなんとか、他にもいろんな研究をして...(割愛して申し訳ない)
「ひょっとしたら人類の祖先も鳥や猿の様に“文法のある鳴き声”でコミュニケーションを取っていたのではないか?」という説を導き出した。

この“文法のある鳴き声”とは、一定パターンのリズム、音程の変化を繰り返すもののことで、すなわち「歌」である。

 これはミュージシャンにとっては涙が出るほど素敵な学説だ。
氏の学説が正しければ、メロディーに言葉を乗せて歌うという事は、人類が「新人」と呼ばれる前の「猿人」とか「原人」とか「旧人」の頃から続けてきた営みなのだ。

飛躍すると、音楽は衣食住と同じくらい大切なものという事になる。

歌に言葉をのせる行為に崇高なものを感じ、作詞作曲の意味合いが少し変わった様な気がした。

岡ノ谷氏、ガンバ。





 次に言葉の恐怖の話を。

まぁ言葉の恐怖と言っても常に使う人間次第なのだが...

私、言葉を使う仕事を沢山させていただいておりまして誤字脱字は日常茶飯事ですが、言葉の温度感や行間には丁寧に仕事をしている気でいます。

が、日常会話になるとこれがなんとも不自由なもので、仲間内でしか通用しないワードに捕らわれがちになる。

気がつくと結構汚い言葉を使っていたり、よく知った第三者への愛情表現を込めた悪口(変な表現だね)をガンガン使っていたりする。

例えるならば「コッスィーいつもお辞儀ばっかりしやがって!」と発言しても、FoZZtoneのライブを見たことがあるファンの皆様ならば「あはは」と笑えるでしょう。
しかしFoZZtoneのライブでのコッスィーのお辞儀や私とのMCの絡みなどを知らない方は「あれ?仲悪いのかしら?」と思うこともあるでしょう。

そしてそれがコッスィーでなく第三者だったらと考えると、その誤解から生まれる負の連鎖に...ゾっとする。



 かと言って椎名林檎嬢の用な徹底した雅なお言葉を使い続けるのは私には向いていない...というか、俺がやると気持ち悪いだろう。あぁ、久々に「俺」と書いたな。

ネットなどでもコミュニティー毎に専門用語や独自のワードが存在し、それらが頻繁に飛び交っている。
一見さんには少々ハードなヤリトリをする方々もいらっしゃるが、彼等は彼等のルールを守って語り合っていて、内情が知れると微笑ましかったりもする。

 しかし私は“言葉で飯を食っている”と言えなくもない立場だし、人から賛辞や批評を頂く立場なので、気を引き締めなければ...と、なんか最近思わされた。



 私28の大人だし、言葉で無駄に人を傷つけるのは子供のする事だろう。
可愛げのない皮肉も存分に言える知識も身についた今日この頃、何かのルールを守って戦うのはしんどいモノだと改めて実感。

そう言えばウルトラマンやゴジラの人気が10年以上前から下火になっている気がする...
そりゃあ街を守りながら戦うのはしんどかっただろう...いや、....ゴジラは違うか。
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by fozztone | 2009-04-08 04:29 | カチカチ
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