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夏の作文
『落とし文に注ぐ私の愛』
一年三組 渡會将士





 オトシブミを知っているか?

漢字で書くと「落とし文」。
江戸時代に男女が人前で恋文を渡し合うのはとても恥ずかしい事で、したためた恋文をさりげなく意中の人の前で落とし、それを拾ってもらう事で手紙の受け渡しをしていた事から「落とし文」と呼ばれる様になった。

今日はそんなロマンティックな「落とし文」の話‥‥ではなくて「オトシブミ」という名前の昆虫の話をしたい。

「落とし文」がその名の由来になるくらいだから、もちろん「オトシブミ」はそれに見合った生態の昆虫なのだが、彼等が落とすのは恋文ではない。

ゆりかごだ。

オトシブミはゾウ虫っぽい外見の不細工ちゃんだが、容姿に似合わず異常に手先が器用だ。
まず自分の卵を葉っぱに一粒産みつける。
そしてその卵をくるむようにして丁寧に丁寧に葉っぱを巻いていく。
自分の体の何倍もある大きな葉っぱを、くるくると丁寧に巻いて最終的に自分と同じぐらいの大きさの円柱形に折り畳んでキッチリと固定する。

卵を守る為のゆりかごを作るのだ。

そして完成したゆりかごを枝から切り離して地面にポトンと落とす。
それを見た人がきっと、
「丁寧に心を込めて書いた手紙を意中の相手の前にさりげなく落とす下町娘の様だ!」
とかなんとか思ってオトシブミと名付けたのだろう。

ちなみに、地面に落ちたゆりかごはそのまま放置されるが、中で卵が孵ると幼虫はゆりかごをムシャムシャと食べて大人になる。
多分葉っぱも枯れて発酵してゆくから、ゆりかごの中は結構暖かいんだろう。

ひと冬を越えることが出来ない親から、子供ひとりひとりの為に丹誠込めてこさえた“食べれる愛のゆりかご”ってわけだ。
ロマンティーック!



 私がこの愛深き昆虫を知ったのは一冊の絵本だ。
とても綺麗な‥‥そしてややリアル過ぎてキモいイラスト付きの絵本で、私の愛蔵書だった。
そして私はある夏の日に家族とハイキングに行った山の中で、リアルオトシブミのリアルゆりかごを発見した。

当時の私は下ばかり見ながら歩いている自閉気味のくっら〜い子供だったが、その視界に入ったゆりかごはまさしく天から降ってきた贈り物で、あの絵本の中身は現実に生きている昆虫の世界と繋がっている真実なんだと理解した。

私はそれはもう狂喜乱舞して喜び砕けた。
この子大丈夫かしらって思うくらい喜び壊れた。

いくら実在する昆虫の絵本と言えども、自分の目で確認するまではその辺のかわゆくて丸まっちいキャラクターと同じだ。
ゲットできるかもしれないミヤマクワガタと、一生出会わないであろうヘラクレスオオカブトでは憧れの種類が全く違う。

つまり私にとっては目で見て触れるまでのオトシブミのゆりかごは、ぺかちゅーと同じ架空の生き物だったのだ。


がしかし、手でつまんでフニフニしてみたゆりかごの感触といったらどうだろう。

おお、生きている。

いや、正解にはゆりかごはただの葉っぱで、その中の卵が生きているのだが、今にもほどけそうなのに恐ろしく頑丈に結束されたゆりかごの実感値に、オトシブミの素晴らしき生命の叡智を理解した。
そして、まだオトシブミがその辺の木にいるかも!と思って天を仰いだ。

見つける事は出来なかったが、この芸術作品を作り出した天才昆虫は、ゴッホの様に光を浴びずに静かにどこかで生きているのだろう。

私はそれまで架空の世界と地面に向いていた視線を、生命と天に向けてくれたオトシブミが一層好きになり、愛蔵書は悟りの書になった。

ドラクエで言うなら剣の舞を覚えた時くらいのレベルアップ感だ。



 その後私はオトシブミへの愛を世界に広めるべく、愛蔵書改め悟りの書をクラスの学級文庫に寄贈した。

沢山の人が読んでくれたからこそ、2学期の終わりには私の悟りの書はズタボロのヨレヨレでページも千切れていた。

私は大切な本がボロボロになってしまった事がとても悲しくて、それをメソメソと泣きながら家に持って帰った。
あの2学期の終業式が、今でも忘れられない。

得たものは果てしなく大きい。
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by fozztone | 2009-08-10 04:29
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